昭和46年(1971年)に中央教育審議会が養護学校の義務制実施を提言し、昭和54年(1979年)にようやく養護学校が義務教育となり、重い障害のある児童に教育の機会が得られるようになって今年で約35年となる。平成12年(2000年)に福田の里の開設時に入所された利用者の方の多くも就学猶予・就学免除の名の下に学校に通う機会を得られなかった方がおられる。養護学校の義務制実施前の昭和51年(1976年)には、故長洲一二神奈川県知事が燈燈無尽の精神で社会福祉活動を推進する「ともしび運動」を提唱され、昭和56年(1981年)には川崎市内で発生した予備校生による金属バット両親殺害事件を契機にして「ふれあい運動」が提唱された。この頃から全国的に障害のある方の家族の手によって障害者地域作業所が開設される。中でも神奈川県では、全国的に大規模入所施設(コロニー)が次々と開設される中で、県全域が生活の場であるとの理念の下、「星の数ほど作業所を」と言われるほど多くの作業所が開設された。しかしながら、作業所の多くは障害者の家族の手によって運営され、運営の基盤は極めて脆弱であり、運営する家族会には多くの困難があった。障害のある人の家族にとって入所施設の必要性はこれらの歴史的背景によって生じ、家庭における障害のある人の支援はその多くを母親が担い、その実情は艱難辛苦そのものです。僅かながらの入所施設も、その多くは障害のある人の家族がそれぞれ数百万円に上る建設資金を寄付し設立されるなど、公助とは言えるものではありませんでした。精神障害者においては、現在もその状況は殆ど改善されておりません。平成12年(2000年)の社会福祉基礎構造改革によって措置制度から支援費制度、障害者自立支援法へと移行し、現在の障害者総合支援法に名称変更されるに至り、障害福祉サービス関係予算額は義務的経費化によって、ここ10年で倍増し、平成25年(2013年)この12月に国は障害者権利条約に批准しました。
障害のある人も障害のない人も同じ地域の中でともに生きるノーマライゼーションの理念が初めて用いられた法律がデンマークで成立した昭和34年(1959年)から約50年経過して、なお、福田の里においても50名を超す利用者の方が身を寄せ合って暮らしており、平成24年(2012年)に施行された障害者虐待防止法の半年間の国の集計結果では、約8割が家庭での虐待、約2割が施設での虐待と報告されていることからも、多くの障害者の暮らしが家庭と施設に限定されていることが推測されます。
障害のある人の意思を尊重し、権利を守るには、歴史の経緯と過去の障害者福祉施策を理解し、住まいと日中活動の場を分け、より多くの支援者によって支援することが不可欠です。また、障害の程度や年齢に応じた介護環境と支援を提供することが何より必要であることを管理者を始めとする支援員一同が共有し、実践することが求められています。まさに一隅を照らす実践を私達の手で行い、地域の中でともに生きる理念を具体化する必要があります。
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